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瑞穂 (水上機母艦)[みずほ]
瑞穂(みずほ/みづほ)は、大日本帝国海軍の水上機母艦(甲標的母艦)〔#達昭和11年12月(1)p.5『達第百八十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦二隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十二月十四日 海軍大臣永野修身|呉海軍工廠ニ於テ建造 水上機母艦 千代田(チヨダ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 水上機母艦 瑞穂(ミヅホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 峯雲(ミネグモ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 霰(アラレ)』〕〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|水上機母艦|能登呂、神威、千歳、千代田、瑞穂、日進、秋津洲』〕。1942年(昭和17年)5月2日、ガトー級潜水艦のドラムの雷撃により沈没した。駆逐艦や輸送船は狭義の「軍艦」ではなかったため、瑞穂は太平洋戦争で初めて戦没した帝国海軍の軍艦となった〔#日本空母物語364-366頁『瑞穂(みずほ)』〕。 「瑞穂」は日本の国の美称で、稲穂がめでたく豊かに実る意味〔#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.58-59〕。 == 概要 ==
=== 建造経緯 ===
第一次世界大戦後に締結されたワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮会議により列強各国は海軍休日に突入。その抜け道として帝国海軍は「条約制限外艦艇(給油艦、水上機母艦、貨客船)を建造、平時においてはそのまま運用し、有事の際には短時間のうちに航空母艦(空母)へ改造する」という方針をとった〔#日本空母物語372-376頁『水上機母艦・甲標的母艦の計画について』〕。同時期、帝国海軍は酸素魚雷と『甲標的(特殊潜航艇)』の開発に成功する。しかし甲標的の航続距離は非常に短く、日米艦隊決戦において、決戦海域まで甲標的を輸送する母艦が必要となった〔#日本空母物語343-345頁『洋上決戦用の水上機母艦』〕。そこで甲標的の着想と同時に開発されたのが千歳型水上機母艦(千歳、千代田)と瑞穂、日進《マル3計画艦》である〔。なお第一次補充計画で建造が決まった潜水母艦「大鯨《龍鳳》」、マル2計画(第二次補充計画)で建造が決まった給油艦2隻(剣埼《祥鳳》、高崎《瑞鳳》)は空母へ1カ月で改造、水上機母艦"甲"(千歳、千代田)、水上機母艦"乙"(瑞穂)は戦時には甲標的母艦となる艦で、最高機密の軍機艦であった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瑞穂 (水上機母艦)」の詳細全文を読む
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